「永遠回帰」の真理こそ、「超人」へ至る道であるというのが、ニーチェの考え方です。「ツァラトゥストラはこう言った」の上巻を「超人」と定義するとしたら、この下巻は、「
永遠回帰」と定義されるように思います。
この「永遠回帰」の真理となる言葉が、下巻には数多く登場します。その中から「本の一部」ですが、紹介させていただきます。
・民衆のうちの若干の者は、意志を持っている。しかし、大多数の者は、人の意志に動かされている。彼らのうちの幾人かは、本物の俳優であるが、大多数の者は
下手くそな俳優だ
・民衆の望んでいることは一つ。誰からも
苦痛を与えられないということ。そこで先廻りして、誰にも親切をつくす。これは臆病というもの。たとえ「美徳」と呼ばれようと
・善人たちの間で暮らす者は、
同情による嘘をつくように教えられる。同情は、すべての自由な塊のまわりに、どんよりした空気をかもしだす。善人の愚かさは見極めがたい
・肉欲と支配欲と我欲の三つは、これまでひどく呪われ、最も悪く言われ、誤解されてきた。この三つを、私は人間的によいものとして秤ってみたい
・自分自身に命令することのできない者は、人に服従することになる。自分自身に命令できる者も、
自分自身に服従するまでにはなかなかなれない
・享楽とか無邪気さとかは、最も恥じらいの強いもの。そのどちらもすすんで求められるべきものではない。人はそれを自然に持ち合わせなければならない。むしろ、
罪と苦痛をこそ求めなければならない
・私は自己を温存しようとしない人々が好きだ。私は没落して行く人たちを、私の愛情のすべてを傾けて愛する
・善人たちは譲歩する。忍従する。彼らの心情はごまをすり、彼らの論拠はいいなりになる。そして、
いいなりになる者は、自分自身の本心に耳を傾けない。一つの真理が生まれるためには、善人たちに悪と呼ばれているすべてのものが集まってくる必要がある
・知識人と呼ばれるあの群がりよる蛆虫どもを追っ払ってやるがいい。彼らは英雄たちの汗をなめて、舌鼓を打っている
・あなたがたは、
憎むことのできる敵だけを持つべきだ。軽蔑すべき敵を持ってはならない。あなたがたは、自分の敵を誇りにしなければならない
・同情は近ごろでは、あらゆる
小さい人間たちのもとで、美徳そのものになっている。彼らは、大いなる不幸、大いなる醜悪、大いなる失敗に対して、何らの畏敬の念を抱かない
・みだらな欲望、燃え上がる
嫉妬、恨みつらみの
復讐心、賎民独特の
意地っ張り、こうしたすべてが容赦なく私の眼に映る。貧しい者が幸いだとは、もはや真理ではない
・「おのれの好むところに従って生きるか、さもなければまったく生きないか」、これが私の願いだ。最高の聖者の願いもそんなところだ
・私の心を占めているのは
超人だ。彼こそ、私にとって第一の、唯一の心がかりであって、人間などではない。隣人とか、貧しい者とか、悩める者とか、善い者とかではない
・今日、主となり支配者となっているのは、小さな人間たちであり、あきらめと謙遜と抜け目なさと勤勉と顧慮その他、限りなく
小さな美徳を説く
・あなたがた「ましな人間」たちよ、小さな美徳を克服せよ。ちっぽけな知恵、砂粒のような配慮、「最大多数の幸福」をあきらめるよりも、むしろ絶望せよ
・「人間の本性は悪だ」、なぜなら、悪こそは
人間の最善の力だからだ。「人間はより善く、かつ、より悪くならなければならない」。最悪のものは、超人の最善のために必要である
・高く登ろうと思うなら、自分の脚を使うことだ。高いところへは、他人によって
運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない
・人間は、勇気ある動物どもに嫉みを感じ、そのすべての長所を奪い取った。こうして、人間は初めて人間になった。洗練され、精神化され、知性化されたこの勇気、鷲の翼と蛇の賢さを備えた
人間的勇気、それが今日、ツァラトゥストラの名で呼ばれているものだ
・よろこびは、あとを嗣ぐ者を欲しない。子供たちを欲しない。よろこびは自己自身を欲する。
永遠を欲する。
回帰を欲する。一切のものの永遠の自己同一を欲する
「ツァラトゥストラはこう言った」は、安易に読めるものではありません。言葉の持つ意味を咀嚼して読んでいくとしたら、一年かかっても読み解けないかもしれません。
今回は、ニーチェの思想に少し触れてみることが目的でした。ニーチェの深みにはまりたい方は、是非お読みください。
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