故谷沢永一氏と渡部昇一氏の本を、このブログでも何度か紹介してきました。
この本は、仲の良い本好きの二人が、対談して、「人生後半に読むべき本」という題材で、その
博学多識を競い合う内容になっています。
勉強になった箇所が15ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
・昔、読んだ本がつまらないのは、「自分の感動する心が薄れたせい」と思う人がいるが、「若いころは、こんなものに感激したのか、
若かったな、
幼かったな、自分はこんなに成長したんだ」と肯定的に捉えたほうがいい
・人間の世の中は、この
世のしがらみで、妻子を養うために、家業を守るために、自分の人生を捧げなければならないことが大部分。第二の人生とは、そこから解放されること
・
職場の同僚というものは、本当のところ、友情もへったくれもない。大抵の人は、職場の同僚と一緒に飲みに行くとか、親密なつきあいをしているのが人間同士の精神的な交流と錯覚している。しかし、これは、機能上での接着あるいは密着でしかない
・本多静六が参考になるのは、人知を越えたものが働いて、駄目になったら、それは諦めるという覚悟を持って、敢然として切り替えていくところ
・歳を取ってくると、「そうか」「そうだったなあ」と思える体験が、読書の味わいとしていい。だから、教訓集は年寄りにもいい。やはり、歳を重ねてこそ、そういう本を読んで、若い人に、折に触れて、
教訓を垂れることが大切
・哲学というものは、物書きを目指す人以外には、一般教養として、全部要らない。哲学は、要するに、人に
固定観念を植え付けるものであり、人を楽しませ、喜ばせるためのものではない
・幸田露伴は、運とは「こうすれば必ずいいことがある」という因果律ではなく、「
運は運なり、巡るなり」と、東洋思想の最高のことを言っている
・努力して書いたものが読まれず、軽く書いている感じのものが読まれる。意識しないで軽く書いたときは、意外に内なる充実がある。逆に、力を入れて書くのは、
力がなくなってきたので力を入れるからか、実は自己満足が大きいから
・菊池寛が偉いのは、純文学を三十何歳でスパッと辞めてからは、日本一の原稿料を取る作家になったこと。
大衆の気持ちをつかまえるほうに成長した菊池寛と成長しそこねた芥川龍之介の末路は、文芸春秋を創った社長と自殺した青年作家の差になってしまった
・「
我を通す」ことが後半生におけるプリンシプルになる。とにかく、自分の内なる心の声に正直でなければならない
・鎌倉幕府が亡びた原因は、元寇の役の
論功行賞ができなかったこと。これは、日本人が知らなければならないこと。日露戦争にしても、論功行賞が滅茶苦茶だったことが、後の日本に悪い影響を及ぼした
・日本は、スパイ天国になって、やられっぱなし。日本人に、スパイというのは、一種の汚い感覚があるのは、徳川幕府は
スパイ政治だったから。それに対する猛烈な嫌悪感、反発が明治以後に生まれた日本人にある
・日本人は、
内政と外交が相反するものであることがわからない。つまり、政府が国民に嘘をつくのはよくないが、外国に向かっては、どんな嘘をついても、どんなに威張っても、とことん自己宣伝しても、有効な手段になる
・日本が世界に誇れるものは、金持ちの
商人文化。ところが、小説などでは、商人が必ず悪者になる。徳川幕府が、力を失った理由は、武士と商人の接触が薄れたこと。家康の頃は、商人と茶室でお茶を飲んでいたから、大商人の知恵がストレートにトップに伝わった
・松下幸之助を日本人は誰も哲学者とは思っていないけれども、「タイム」誌は、「フィロソファー」と表現した。松下幸之助は、釈迦と同じように、
ピース・アンド・ハピネスを説いている
・松下幸之助は「ますます繁栄して、豊かになれよかし」と提唱した。世界のあらゆる思想は、「我慢しろ。
いずれよくなる。
先は明るい」という、将来へ責任を押しつける論理であると同時に、貧困の哲学でもある。大思想家は、貧しさに耐えるという発想になりがち
・豊臣秀吉は、水飲み百姓の子と言われているが、実際、ガキ大将になるぐらいの家に生まれている。子供のときに、
威張ったことがない人間が、大人になって威張れるわけはない。どんなに小さなサークルでもいいから、威張った経験がないと、上には立てない
欲望に根ざした行動をとり続ける人間を観察することと、その
行動の軌跡である歴史を検証することは、人間にとっての普遍的命題です。
しかし、この命題の理解は、歳を取らないと、なかなかできないものです。お二人の対談は、人間の心理と歴史を十分に考えさせてくれる内容です。ある程度、歳を取った方には、是非目を通してほしい書です。