とは学

「・・・とは」の哲学

『修身教授録』森信三

修身教授録 (致知選書)修身教授録 (致知選書)
(1989/03/01)
森 信三

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森信三さんは、教育の王道を歩まれた方です。数々の本をこのブログでも、紹介してきました。

本書は、教師への講義録です。つまり、「教育者への教育」をしたものです。また違った深い味わいがありました。その一文をまとめてみました。



・口先ばかりで、心だの精神だのと言ってみても、その食物(読書)に思い至らぬようでは、単なる空語。「一日読まざれば一日衰える」「偉大な実践家は、大なる読書家」

・世間多くの人々は、欲を捨てることの背後に大欲の出現しつつあることに気づかない。人間が、自ら積極的に欲を捨てるということは、わが一身の欲を打ち越えて、天下を相手とする大欲に転ずること

・自分一人が山の頂上に腰を下し、あとから登ってくる者たちを眼下に見下ろして、「何を一体ぐずぐずしているのか」という態度に教師がなると、傲慢というものが生まれてくる

・「血・育ち・教え」、この三つは、一人の人間が出来上がる上で、最も重要な三大要素。よほど立派な「教え」を聞き、さらに自分としても相当努めたつもりでも、「血」と「育ち」に根差した人間の「あく」は、なかなか容易に抜けない

気品は、人間の修養上、最大の難物。それ以外の事柄は、生涯をかければ、必ずできるものだが、気品だけは、若いうちから深く考えて、本腰にならぬことには、とうていだめ

・宗教は理屈のない者ほど入りやすいし、また理屈のない宗教ほど拡がりやすい

・傲慢は、外見上いかにも偉そうなにもかかわらず、実は人間がお目出たい証拠。卑屈とは、外見のしおらしさにもかかわらず、実は人間のずるさの現れ。お目出たさずるさとは、それが真実でない点では一つ

・志とは、これまでぼんやりと眠っていた一人の人間が、急に眼を見開いて起ち上がり、自己の道を歩き出すということ。今日わが国の教育上最も大きな欠陥は、生徒たちに、このような「」が与えられていない点にある

・真に尽きせぬ努力は、私欲を越えて公に連なるところから生まれる。それは普通の井戸と掘り抜き井戸との違いのようなもの。普通の井戸は、幾ら水が出ても一定の限度がある。掘り抜き井戸は、岩盤が打ち抜かれているので、こんこんと水が湧き、限りがない

・批評眼は持つべし。されど批評的態度は慎むべし

・現世的欲望を遮断し、次代のために自己を捧げるところにこそ、教育者の教育者たる使命がある。すなわち、花実が見られなくて、努力できないようでは、教育者とは言い難い

・「生きているうちに神でない人が、死んだからといって、神に祀られる道理はない。それはちょうど、生きているうちに鰹でなかったものが、死んだからといって、急に鰹節にならぬのと同じ」(二宮尊徳)

・偉くなった人には小さいうちから、「意地」と「凝り性」という二つの素質が大きくある

・偉人は、偉大な生命力を持った人でなくてはならない。しかもそれが、真に偉人と呼ばれるためには、その偉大な生命力が、ことごとく純化せられねばならない

・人生を深く生きるということは、お目出たさから脱却する道と言っていい

下坐行とは、その人の真の値打ち以下のところで働きながら、しかもそれを不平としないばかりか、これを自己を識り自分を鍛える絶好の機会と考えるような生活態度を言う

苦労したために、表面的なお目出たさや甘さがなくなると共に、そこに柔らかな思いやりのある人柄になる人と、反対に苦労したことによって、人間がえぐくなって、他人に対する思いやりがなくなる人がいる。この相違は、その人が自己を反省するか否かによる

・坐禅を組んでいる間は、高僧も凡僧も格別の差はないが、ひとたび坐禅をやめたとき、凡僧は「アア」とあくびをして、坐禅はもう済んだものと思う。ところが、高僧は坐を解いても、一層心を引き締める。そこに人間の優劣の岐れ目がある

・「アアこれでもすむ」という程度の生温い生き方は、いわば努力の最低限の標準で、物事を処理していること。真面目とは、常に自己の力のありったけを出して、もうひと伸し、もうひと伸しと努力を積み上げていく「百二十点主義」に立つこと



「教師の教師」である森信三さんの話には、一本筋がピーンと通った緊張感のようなものがあります。

その緊張感こそ、教育者が持っていないといけないものかもしれません。それらが随所に感じられる書でした。


[ 2014/05/19 07:00 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)

『素読読本・「修身教授録」抄―姿勢を正し声を出して読む』森信三

素読読本「修身教授録」抄―姿勢を正し声を出して読む素読読本「修身教授録」抄―姿勢を正し声を出して読む
(2004/09)
森 信三

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森信三さんの本を紹介するのは、「心魂にひびく言葉」「一語千鈞」などに次いで、5冊目です。

本書は、実際に授業で使った講義録です。しかも、昭和初期、40歳ころの初期のものです。森信三さんの原点となる作品です。その中から、感銘した文を選び、一部要約して紹介させていただきます。



・この世に生まれてきたことを「辱い」(かたじけない)と思い、「元来与えられる資格もないのに与えられた」と思うに至って、初めてその意義を生かすことができる

・道徳修養とは、この人生を力強く生き抜いていけるような人間になること、その意味から「剛者の道」と言ってよい。もし、この根本の一点をとり違えて、道徳修養とは、お人好しの人間になること、と考えたら、むしろ道徳修養などない方がはるかにましと言える

・人間というものは、その人が偉くなるほど、次第に自分の愚かさに気づくと共に、他の人の真価が次第にわかってくるもの。そして、人間各自、その心の底には、一箇の「天真」を宿していることが分かってくる

・仕事の処理をもって、自分の修養の第一義だと深く自覚すること。このような自覚に立って、「本末軽重」を考え、「順序次第」を立てること。次に、真先に片付けるべき仕事に、思い切って着手し、一気呵成に仕上げること。仕上げは八十点級のつもりでいい

・対話の際の心得だが、それには、なるべく相手の人に話さすようにすること。さらには、進んで相手の話を聞こうとする態度が、対話の心がけの根本と言っていい

・一語一語は、子供たちの心の中に種子をまかれて、やがて二十年、三十年の後に開花し、結実するであろう。かくして、真の教育は、ある意味では、相手の心の中へ種子をまくことだとも言える

・気品を高めるには、独りを慎む(ただ一人いる場合にも、深く己を慎む)ことが大切

偉人の伝記は、一人の偉大な魂が、いかに自分を磨きあげ、鍛えていったかという、その足跡を最も具体的に述べたもの。だから、抽象的な理論の書物と違って、誰にも分かるし、また心の養分となる

・修養期の良寛の心構えである「良寛禅師戒語」を書き写してほしい
1.ことばの多き 1.口のはやき 1.とわずがたり 1.さしで口 1.手がら話 1.公事の話 1.公儀のさた 1.人のもの言いきらぬ中に物言う 1.ことばのたがう 1.能く心得ぬことを人に教うる 1.物言ひのきわどき 1.はなしの長き 1.こうしゃくの長き 1.ついでなき話

・たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、下坐に行じた経験を持たない人だと、どこか保証しきれない危なっかしさが付きまとう

・「わが身に振りかかってくる一切の出来事は、自分にとっては絶対必然であると共に、また実に絶対最善である」という「最善観」の立場が、人生の信念と言っていい

・人生が苦の世界と見えるのは、まだ自分の「我」に引っ掛かっているから

・人の一倍半は働いて、しかも報酬は、普通の人の二割減くらいでも満足しようという基準を打ち立てること。報酬が少なくても我慢できる人間に自分を鍛え上げていくこと

・試験は、人間の才能をそのまま示すものではないという一面のみにこだわって、試験がその人の努力と誠実さを示すものだという、より大事な一面を看過ごしてはいけない

・目の前に見える最後の目標に向かって、「にじりにじって」近寄っていく。これが「ねばり」というものの持つ独特の特色

・自分の欲するものは、全力を挙げてこれを取り入れるようにしてこそ、初めて自己は太る。批評的態度にとどまっている間は、その人がまだ真に人生の苦労をしていない何よりの証拠

・人間として最大の置土産は、何と言っても、この世を去った後に残る置土産だということを忘れてはならない。この点に心の眼が開けてこない限り、真実の生活は始まらない

・人間の人柄は、その人が、他人から呼ばれた際、「ハイ」という返事の仕方一つで、大体の見当はつく


本書は、講義録なので口語体です。声に出して読むと、より身が引き締まって、心に響いてくるものがあるように思います。

75年前の修身の本ですが、この森信三さんの置土産は、今でも堪能する価値が十分にあるのではないでしょうか。


[ 2013/04/24 07:00 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)

『森信三一日一語』寺田一清

森信三一日一語森信三一日一語
(2008/02/28)
寺田 一清

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森信三さんの本を紹介するのは、これで5冊以上となりました。森信三さんは、教育学者としてだけでなく、哲学者として、莫大な語録を遺されています。

何冊読んでも、また新たな言葉の発見があります。今回も新たな発見がありました。それらを紹介させていただきます。



・書物は人間の心の養分。読書は心の奥の院であると共に、また実践へのスタートライン

・手持ちのものを最善に生かすことが、人間的叡智の出発。教育ももとより例外ではない

・上役の苦心が分りかけたら、たとえ年は若くとも、他日いつかどの人間となる

・悟りとは、他を羨まぬ心的境涯

金の苦労によって、人間は鍛えられる

・物にもたれる人間は、やがて、人にもたれる人間になる。そして、人にもたれる人間は、結局、世の中を甘く見る人間になる

・節約は、物を大切にする以上に、わが心を引き締めると分かって初めてホンモノとなる

・人間が謙虚になるための手近な、そして着実な道は、まず紙屑を拾うことから

・芸術品は、あきがこないことが良否の基準。あきがこないのは、人為の計らいがないせいで、天に通じる趣きがあるから。これは、芸術品だけでなく、人間一般にも通じる

・「弱さ」と「」と「愚かさ」とは、互いに関連している。けだし弱さとは、一種の悪であって、弱き善人では駄目である。また智慧の透徹していない人間は結局は弱い

・人間の偉さは、才能の多少よりも、己に授かった天分を、生涯かけて出し尽くすか否かにある

・「1.時を守り」「2.場を浄め」「3.礼を正す」。これを現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・ところにも当てはまるべし

・(仕事への熱心さ)×(心のキレイさ)=人間の価値

・俸給を得るために、主人がどれほど下げたくない頭を下げ、言いたくないお世辞を言っているかのわかる奥さんにして、初めて真に聡明なる母親となる

・裏切られた恨みは、これを他人に語るな。その悔しさを噛みしめていく処から、初めて人生の智慧は生まれる

・大事なことは、見通しがよく利いて、しかも肚がすわっているということ

善人意識にせよ、潔白さ意識にせよ、もしそれを気取ったとしたら、ただイヤ味という程度を越えて、必ずや深刻な報復を免れないであろう

・晩年になっても仕事が与えられるのは、真にかたじけない極み。待遇の多少など問題とすべきでない

・嫉妬とは、自己の存立がおびやかされることへの危惧感である

・この世は、キレイごとで金を儲けることが難しい。これ現実界における真理の一つ

・人間は、分を自覚してから以後の歩みこそほんものになる

・人間は、「1.職業に対する報謝として、後進のために実践記録を残すこと」「2.この世への報謝として、自伝(報恩録)を書くこと」「3.余生を奉仕に生きること」。これ人間として最低の基本線

・根本的原罪はただ一つ、「我性」すなわち「自己中心性」である。そして、原罪の派生根は「1.性欲」「2.嫉妬」「3.搾取」の三つ

・他との比較をやめて、ひたすら自己の職務に専念すれば、そこに一小天地が開けてくる

・人間形成の三大要因は、「1.遺伝的な先天的素質」「2.師教ないしは先達による啓発」「3.逆境による人間的試練」


森信三さんの一言一言は、人間の教育者としての域を越えて、社会の教育者としての域に達しているものと思われます。

これらの一言一言が、社会に共有されたら、社会は、きっといい方向に進んでいけるのではないでしょうか。


[ 2013/03/11 07:03 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)

『現代の覚者たち』森信三、関牧翁、三宅廉、坂村真民、平澤興

現代の覚者たち (致知選書)現代の覚者たち (致知選書)
(2011/09/16)
森 信三、関 牧翁 他

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この本は、教育学者の森信三氏、幼児音楽教育の鈴木鎮一氏、産科小児科院長の三宅廉氏、詩人の坂村真民氏、天龍寺管長の関牧翁氏、日本ビクター社長の松野幸吉氏、京都大学総長の平澤興氏へインタビューしたものです。この七人は、今では、すべて故人です。

七人の故人が甦って、私たちを目覚めさせてくれるのが、本書です。役に立つこと、ためになること、勉強になることだらけです。それらを一部要約して、紹介させていただきます。



不妄語(でたらめを言うな)、不悪口(悪口を言うな)、不両舌(仲違いすることを言うな)、不綺語(お上手ごとを言うな)。古来、傑出した人は言葉の慎みを重視する(森信三)

・どこか「自己を賭ける」趣きが要る。食うことが保証されている組織の中では、賭けることは勝手にできない。だから、部下に賭けさせることが、すぐれた社長の条件(森信三)

・われわれは神様から封書を持ってこの世へ送られてきている。封書を開けて、その使命が何であるかを解らねばならない(森信三)

・二度とないこの世の「生」を恵まれた以上、自分が生涯たどった歩みのあらましを、血を伝えた子孫に書き残す義務がある(森信三)

・読書は、「自分」をつねに内省できる人間にする。読書、内観、そして実践という三段階は、われわれ人間が進歩し、深められていくプロセス(森信三)

・どんな子でもみんな、母国語が話せる。この母国語の教育法こそ、どんな教育法にも勝る。だから、学校の成績が悪いのは、教育の方法が間違っているから(鈴木鎮一)

・「うちの子はものになるでしょうか」と聞く打算的な親ではだめ。親の心配は、少しでも立派に、美しい心の子を育てることで十分。立派に育てば、立派な道が開ける(鈴木鎮一)

・「十四歳は最も美しい時。世界中の人がみな十四歳なら、この世はよくなる」とシュバイツアー博士は言った。ルソーも「十五歳を境に第二の人生が始まる」と述べた(三宅廉)

・ナチスのヘスが、残虐な行為をしたのは、「私(ヘス)の前で、両親が仲良くしているのを見たことがない」から(三宅廉)

・人間をつくるのは、絶対に母親。三歳までは父親ではない。三歳を過ぎたら父親。社会性を与えて、この世の中で活躍する底力を養うのは父親。脳の前頭葉を発達させ、よき判断力、決断力を発揮させるのは、父親の役割(三宅廉)

・私の詩は接点の詩。善悪の接点、昼夜の接点、陰陽の接点、光と闇の接点。川が流れて海に注ぐ、その接点。そこに一番、魚がいる。人間も清い世界だけに住んでいてはだめ。接点の世界には、いろいろな物が混沌として存在して、一番エネルギーがある(坂村真民)

・言葉が生きるには、いろいろの人生体験や苦難の歴史というものが大切(坂村真民)

・禅宗では「地切り場切り」といって、そのときになりきってしまう。飯を食う時に、糞をすることを考えていたら、あまりいいご飯をいただけない(関牧翁)

・作為を持って、自分の型にはめようとすると、人は拒絶反応を起こす(松野幸吉)

・教育とは火をつけて燃やすこと。教えを受けるとは、燃やされ、火をつけられること(平澤興)

・誉めるには、こちらが、それだけの行をしていなければならない。愛情だけじゃいけない。だから、誉めることは、そう簡単なことではない(平澤興)

・誠実というのは、愛情と努力と言い換えてもいい。偉大な仕事を成し遂げるのに、最も必要なのは、才ではなく、偉大な愛情と努力(平澤興)

・疲れるのは、燃え方がちょっと足りないから。他人に感動を与える人は疲れない(森信三)

・学長をやった関係で、国際的な偉い人に会ったが、本当に一流の人というのは、田舎のおっさんみたいで、どこか足らぬところがある。それが魅力であり、風格(平澤興)

・地方に深く根ざしている「地下水的真人」が日本を支えている(森信三)



人を育てることの極意が、本書に書かれています。教育者でなくても、人を育てる立場に就いている人に、是非読んでほしい書です。

今後の日本は、本書にあるような、名もなき、立派な人物が、全国から輩出されてくるかどうかにかかっているのではないでしょうか。


[ 2012/11/05 07:03 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)

『人生論としての読書論』森信三

人生論としての読書論人生論としての読書論
(2011/09/16)
森 信三

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森信三先生の本を紹介するのは、「森信三語録・心魂にひびく言葉」「一語千鈞」「森信三に学ぶ人間力」に次ぎ、4冊目になります。

自分自身のプロフィールでも少しふれているのですが、「世間的に広くは知られていないけれど、卓れた人の書をひろく世に拡める。世にこれにまさる貢献なけむ」という著者の言葉が大好きです。

今回は、読書論についてだけの著作です。著者の「本」に対する本気度が伝わってきます。本の一部ですが、紹介させていただきます。



・読書の意義と価値を、真に自覚的に把握し、認識している人が少ないのは、二度とない人生を、真に自覚的に生きようとする人が少ないからに他ならない

・人生において、愉快だとか楽しいというような出来事は、そうざらにはない。人生の大部分は、単調な日々の連続。もし、書物を読まなかったら、単調の繰り返しとなって、深い味わいを噛みしめるようなことはなくなる

・読書とは、心の感動を持続するための最もたやすい方法。溌剌として躍動している時、その人の人生は充実する

・良書とは、現実界に内定する無量の理法を、文書をもって、易解な形態に表現したもの

・良書とは、パドスとロゴスの両面を兼ね備えたもの。いずれか一方のみだとしたら、それは真の「良書」とは言い難い

・書物の選択で、読書法の八、九割まで、事が片付く。良書を鑑別する眼力を養うこと

・書物が良いか悪いかの鑑別は、その人が現実に対して、どの程度深い洞察力を持っているか否かによって決まる

・自分の専門部門については、「精読」主義をとることが好ましい。専門以外の領域に関しては、多角的な読書、「多読」を必要とする

・書物を読む場合、精神を集中して、「全的感動」のうちに、「一気呵成」に読み終えるべき

・覚悟とか決心だけでは、個人的なものゆえ、永続し難い。結局は、自己を越えたものへの「発願」に至って、初めて無限の努力の持続が可能となる

・読書は、二度とない人生をいかに生きるべきかが、その中心にあるべき

・真の読書は、書物内容の知識習得を越えて、自己の人間的確立に資するもの。哲学や宗教と呼んでいるものは、われわれの人間的自己確立への努力の所産

・読書による自己の人間的確立の中心は、自己超克にある

・水戸光圀卿の書斎が、幾十室もある広い山荘の、わずか三畳の室だったのは、まことに心憎い

・人間の一生のうちで、記憶力の最も旺盛な時期に、有名な古典の言葉を心に蒔き込まれた子供たちは、古典の真理が、人生の経験と結びついて、その威力を発揮するようになる

・管理職などの地位にある場合、零細な時間を利用するために、「語録」や「箴言」を読むことの長所を知らねばならない

・読書の真価を解しうる人は、その身は一つでありながら、二種の世界に住んでいる住人の如くにある

・功成り名遂げた人が、華やかな舞台から退いて、一人静かに書を読み一室に坐し、天地古今を俯瞰しつつ、悠々と人生の終末を迎える態度こそ、人生至上の道

・青年期の「立志のタネ蒔き」に始まり、壮年期に「人生の浮沈に挫折しながらも慰藉激励」せられ、晩年に「静かに読書」に明け暮れる。人生三期の読書の中でも、晩年の読書こそ、味わい深きものがある



読書の大切さを力説する人は、だんだん少なくなっているように思います。情報という意味では、ネットやテレビに負ける部分がありますが、「知の恵み」に関しては、読書に勝るものはありません。

「人生論としての読書論」=「読書論としての人生論」なのかもしれません。読書と人生は、お互いにリンクし合う関係ではないでしょうか。本書を読み、読書の意義をもう一度、確認したいものです。


[ 2012/05/18 07:09 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)

『森信三に学ぶ人間力』北尾吉孝

森信三に学ぶ人間力森信三に学ぶ人間力
(2011/09/16)
北尾 吉孝

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初めて森信三先生を知ったのは、このブログでも紹介した「森信三語録心魂にひびく言葉」を17年前に買ったときです。何気なく書店で立ち読みしていて、心を打たれたことを今でも覚えています。

この本の著者は、SBIホールディングス(オンライン証券のSBI証券やネット専用銀行の住信SBI銀行などのグループを傘下に持つ会社)の代表取締役である北尾吉孝氏です。

北尾吉孝氏が、教育者であった森信三先生を崇拝されていることを2、3年前に知り、何となく親しみを覚えていました。北尾氏が選んだ森信三先生の遺された言葉の中から、興味深かった箇所を「本の一部」ですが、紹介させていただきます。



・気品というものは、人間の修養上、最大の難物と言ってよい。それ以外の事柄は、生涯をかければ、必ずできるものだが、この気品という問題だけは、容易にそうとは言えない

・人間は、死というものの意味を考え、死に対して自分の心の腰が決まってきた時、そこに初めて、その人の真の人生は出発する

・結局「われわれ人間は、死ねば生まれる以前の世界へ還っていく」と考えている

・その人の生前における真実の深さに比例して、その人の精神は死後にも残る

・一切拒まず、一切却けず、素直に一切を受け入れて、そこに隠されている神の意志を読み取らねばならない

・深く生きるためには、偉人の伝記を三回読まなければいけない。一回目は、12、3歳から17、8歳前後にかけての「立志」の時期。二回目は、34、5歳から40歳前後にかけての「発願」の時期。三回目は、60歳前後にかけての人生の総括の時期

・世の中が不公平に思えるのは、「自分の我欲を基準として判断するからであって、もし裏を見、表を見、ずっと永い年月を通して、その人の歩みを見、また自分の欲を離れて見たならば、案外この世の中は公平であって、結局はその人の真価通りのもの

・現在自分は不幸だと思わない状態こそ、実は幸福な証拠

・常に自ら求め学びつつあるのでなければ、真に教えることはできない

・日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見出すことができる

・われわれ人間生活は、その半ばはこれを読書に費やし、他の半分は、かくして知り得たところを実践して、それを現実の上に実現していくこと

真の読書というものは、自己の内心のやむにやまれぬ要求から、初めてその書物の価値を十分に吸収することができる

・自己の充実を覚えるのは、自分の最も得意とする事柄に対して、全我を没入して、三昧の境にある時。そしてそれは、必ずしも得意のことでなくても、一事に没入すれば、そこに一種の充実した三昧境を味わうことができる

・自分が現在なさなければならなぬと分かった事をするために、それ以外の一切の事は、一時思い切ってふり捨てる

・真の謙遜とは、結局はその人が、常に道と取り組み、真理を相手に生きているところから、おのずと身につくもの

・ローソクは、火を点けられて初めて光を放つもの。同様に人間は、その志を立てて初めてその人の真価が現れる

・もはや足のきかなくなった人間が、手だけで這うようにして、目の前に見える最後の目標に向かって、にじりにじって近寄っていく。このねばりこそ、仕事を完成させるための最後の秘訣

・物質文化は無限に積み重ねることができるけれど、精神文化はそうはいかない。なぜならば、人間は誰しも死を迎え、地上より姿が消えるから


到達した人にしか見えない境地に、森信三先生は立たれていたのだと思います。私には、まだまだうかがい知ることのできない境地ですが、歳をとるにつれ、そこが少しでも見えていくことを願っている次第です。

森信三先生の言葉は、一生の道標になると思っています。これらの言葉を携えながら、徐々に老いていきたいと考えております。
[ 2012/01/30 07:00 ] 森信三・本 | TB(0) | CM(0)