とは考

「・・・とは」「・・・人とは」を思索

『日本人と日本文化』司馬遼太郎、ドナルドキーン

日本人と日本文化 (中公文庫)日本人と日本文化 (中公文庫)
(1996/08/18)
司馬 遼太郎、ドナルド キーン 他

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初版は1972年のロングセラーの書です。日米の叡智である二人が、日本人と日本文化について深く詳細に語り合う内容です。

二人の語り合うところは、歴史的にも、好奇心をかき立てられます。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・日本の歴史を眺めていると、あらゆる面に外国文化に対する「愛と憎」「受容と抵抗」の関係がある。源氏物語にも中華文化崇拝のところもあるが、「唐めきたり」という形容詞には、「日本らしくない」「わざとハイカラな姿」という悪い意味で使われている(キーン)

・朝鮮人は、新羅の末期に、朝鮮語の名前を捨てて、中国名前になってしまった。官僚制度もそうなって、徹底的に儒教体制をやり出した。それが最も徹底したのが李朝からで、1900年初頭まで続いた。つまり、500年間、生活の端々まで中国原理的になる(司馬)

・芭蕉の俳句には「私」のような言葉が出てこない。非常に公平、客観的にものを見る。主観的に女性らしくものを書くことは、まずなかった(キーン)

・中国人というのは、地上に生えたもの、地上を動かしているもの、目に見えるもの、食べることができるものしか認めない。密教は観念論議だから、中国人の体質になんとなく合わなかった。中国密教の長老は、空海が来たので、その全部を受け渡してしまう(司馬)

・一休の悩みには、不思議な普遍性がある。アメリカで講演したら、みんな感激していた。一休は、偽善者を徹底的に嫌って、罵って、ある意味わがままな、不道徳な生活をしたのだが、彼の怒り、憤慨は、本当に身をもって理解できる(キーン)

・日本には、いろんな宗教が入ってきたが、日本人と一番ウマが合った宗教が禅。幕末あたりで出てくる武士も、禅的な人間が多い(司馬)

・人間は皆同じだというのは、足利義政にとっては、生きた血の通った実感ではなくて、禅に凝っていたために、それが観念になっていた。そんなことを言い続けなくても、ただ飢えたものを助けてやればよさそうなもの。しかし、彼は観念に生きた(司馬)

・日本人の趣味からいうと、金よりも銀のほうが合っている。金の温かい黄色よりも、銀のような淋しい色のほうが日本的。そういう意味で、金閣寺より銀閣寺のほうが親しみやすかった。東山文化の墨絵、お花、茶の湯というものは、同じ銀の世界(キーン)

・中世は、叡山の仏教的権威とか、公家の権威とか、室町大名の権威とか、血統とか、権威に満ち溢れていた。東山時代になると、それらは、亡霊みたいにかぼそくなった(司馬)

・応仁の乱は、革命意識もなければ、勝ち負け意識もない変な戦争だったが、生態史観的には、一種の自然発生的な革命作用だった。その後、京都の新しい文化が出てきた(司馬)

・足利義満の金の文化に対する義政の銀の文化、織田信長が支配すると、また金が復権する。世界にパッと窓が開かれた気分が「金」になり、世界に窓を閉ざすと、日本的なものが生まれ、「銀」が復活する。日本の文化史では、このことは繰り返す(司馬)

・中国人だと、黒っぽくなった広隆寺の弥勒菩薩は、金箔に塗り直す。朝鮮でも、朱塗りの剥げた法隆寺などの古い建物は、どぎつい青、赤に塗り直す。日本人は、地肌しか見えないものに美しさを感じる。利休の精神は、千年前からあった(司馬)

・源平時代から戦国時代まで、いろんな合戦があったが、勝負の結果が決まったのは、だいたい「裏切り」だった(キーン)

・忠義というものは、その人がサラリーを直にもらっている主人と従者の間だけに成立するもの。薩摩の侍は、島津の殿様への忠義はあるが、徳川将軍家への忠義はない(司馬)

・世界の民族では、回教なら回教、キリスト教ならキリスト教、儒教なら儒教、つまり絶対原理なようなもので、飼い馴らされないと、社会はできないと思われていた(司馬)

・孟子を偉い人だと言って、「孟子」の講義ばかりしていた人は、江戸時代を通じて、吉田松陰だけ。だとすると、我々日本人は、儒教の影響をたいして受けていなかった(司馬)

・平安朝の文学の多くの傑作は、女性によって書かれた。それらには普遍性がる。女性は外の世界をあまり見ないで、自分の内面を見つめる。女性が感ずるような人間の内面的感情は、国を問わず、時代を問わず、みな共通(キーン)

・奇人は、たいへんな知恵とか知識とか、際立ってすぐれたものを持っていないといけない。それがあれば、閉鎖的な社会の通風口として、ラベルを貼ってくれる場がある(司馬)



日本文学の研究者であるキーンさんと歴史作家である司馬さんが、見事にかみ合った傑作対談集です。

本書は、日本人の精神とは何かが、海外の視点と歴史の視点を通して、抽出されている良書ではないでしょうか。


[ 2013/09/15 07:00 ] 司馬遼太郎・本 | TB(0) | CM(0)

『時代の風音』堀田善衛、宮崎駿、司馬遼太郎

時代の風音 (朝日文芸文庫)時代の風音 (朝日文芸文庫)
(1997/02)
堀田 善衛、宮崎 駿 他

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この本は、1991年~1992年の対談がもとになっています。宮崎駿さんが「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」を製作した後、「紅の豚」を製作しようとしている時期です。

宮崎駿さんが、芥川賞作家の堀田善衛さんと司馬遼太郎さんの大ファンということで実現した対談です。司馬遼太郎さんも宮崎アニメのファンで、作品をよく見られており、映画の話もこの本の中によく出てきます。

本書での宮崎駿さんは控え目です。司馬遼太郎さんの世界の歴史に関するうんちくや堀田善衛さんのスペイン在住10年の経験に圧倒されるばかりで、ほとんど発言されていません。

でも、三人が醸し出す世界は魅力あふれる不思議なものです。新たな発見もたくさんありました。それらを一部ですが、要約して、紹介させていただきます。



貢をとる官僚や貴族は偉い、あとの大多数はロシア農奴。この図式はロマノフ王朝になっても変わらず、今その図式が消えたが、ロシア人には、商品経済の記憶がない(司馬)

・困ったことに、征服そのものが中国の歴史の実体。漢族、蒙古族、満州族などの交替征服が歴史を形成している。海外へ華僑として、難民として、大量に出ていった時期を調べると、交替征服の時期と一致している(堀田)

・中国は、どんなに政治が悪くても食える。それは、いろいろな食料品屋や商人がいて、古来、実務家の国だから。それが、ロシアにはない(司馬)

・二、三百年前、インドネシアの山の部落の人々が、商いのためにマラッカ海峡まできて、イスラム教に接して、これが普遍的だと思い、イスラム教徒になった。そして、イスラムから来た商人と商取引をする。互いに安心できるから、この宗教が広まった(司馬)

・電波の発展は、マルクスの予想外。電波によって、大衆がリアルタイムで自他を捉えることができるようになり、政治どころか人心を地滑りのように動かしたことを、後世の歴史家は20世紀の特徴として挙げると思われる(司馬)

・日本の室町時代に、朝鮮では李朝が興り、明治の終りに滅びるが、李朝はネーションであって、ステートとは言えない。科挙試験によって採用された官僚たちは、商業をなるべく興さないという単純な、古代的儒教国家であることを20世紀の初めまで続けた(司馬)

・イタリアは自由そのもの。何事にも裏があるということが公認されている(堀田)

・歴史的にみて、請負制の国は没落し、サラリー制の国は成功する。だから、カトリックとラテンが、世界史から後退している。サラリー制には義務という考えが必要(司馬)

・日本、東アジアは子供を主人公にして、子供が活躍する物語が好き。力も技も大人と対等。「大人と戦って、子供が勝てるわけがない」とヨーロッパ人には納得できない(宮崎)

・戦争中、越前の兵隊たちは、いざ突撃ということになったら、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と唱えて、敵に突き進んでいった。これは、軍国体制のスタイルを超えて、古くからのスタイルで突撃したことになる(司馬)

・日本の陸軍が年功序列のまま戦争をやっていたことを知ったとき、本当に驚いた(宮崎)

・鎌倉武士の基本であった、日本人の「名こそ惜しけれ」という意識は、この一言で、西洋の倫理体系に対決できる(司馬)

・朱子学というのは空理空論。極端な自己賛美主義でもある。李朝の五百年間、朝鮮はその弊害を受けた(司馬)

・オランダ人が大きくなったのは、インドネシアを植民地にした19世紀になって、たくさん食べられるようになったから(司馬)

・ヨーロッパ人が、なんとかお腹いっぱいに食べられるようになったのは、ジャガイモのおかげ。かつてのヨーロッパの食生活のひどさは、日本で考えられないほど(堀田)

・中国史では、大土木工事をおこした王朝はつぶれる。秦の始皇帝の万里の長城、隋の煬帝の大運河など、それをするためにはすごい労働力が必要。つまり、権力が要る(司馬)

・ひと山、木を切りつくしても、鉄は数トンしかできない。韓国は表土が浅く、そのまま岩山になった。それで、製鉄技術者たちが、出雲に来たと思われる。韓国では、秀吉が木を切ったという認識。韓国は事実よりも非事実を混ぜる。秀吉のせいにしてはだめ(司馬)



本書のあとがきに、宮崎駿さんが、「司馬さんが、『人間は度し難い』と言われたのが忘れられない」とおっしゃっています。

「人間は度し難い」という言葉には、自然の摂理とは違って、人間の心の中を推し量るのは難しいという意味が含まれています。日本の歴史に残るような人をしても、人間は度し難いものかもしれません。


[ 2012/08/31 07:03 ] 司馬遼太郎・本 | TB(0) | CM(0)

『人間というもの』司馬遼太郎

人間というもの人間というもの
(1998/11)
司馬 遼太郎

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この本は、司馬遼太郎さんが1996年に亡くなられた後、すぐに出版された箴言集です。
氏が遺した膨大な小説やエッセイから、人間に関する貴重な言葉を厳選しています。

若いころ、氏の小説を何冊も読み、触発されて、今でも、幕末に興味を持って生きています。先だっても、盆休みを利用して、萩、防府を回り、大村益次郎、吉田松陰、高杉晋作といった天才たちの足跡に触れてきました。

帰ってきてから、久しぶりに、書棚に置いていた、この本を手に取りました。自分が読んだ小説に記載された言葉も登場するので、非常に興味深く読み直すことができました。再度、司馬遼太郎さんの偉大さに気づいた次第です。

この本の中で、新たに感銘した箇所が25ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・人間、思いあがらずになにができようか。美人はわが身が美しいと思いあがっておればこそ、より美しく見え、また美しさを増す。膂力ある者はわが力優れりと思えばこそ、肚の底から力がわきあがってくる。南無妙法蓮華経の妙味はそこにある

・茶の作法も、男女の遊びの作法も、遊戯にすぎぬが、遊戯のとりきめに己を縛りつけるときのみ、人は生死の欲望から離れることができる。作法どおりにするがよい

・志は塩のように溶けやすい。男子の生涯の苦渋は、その志の高さをいかに守り抜くかというところにある。それを守り抜く工夫は特別なものではなく、日常茶飯の自己規律にある

・錯綜した敵味方の物理的状勢や心理状況を考え続けて、ついに一点の結論を見出すには、水のように澄明な心事を常に持っていなければならない。囚われることは物の判断にとって最悪のこと。囚われることの私念を捨ててかかること

・人間の才能は、大別すれば、つくる才能と処理する才能の二つに分けられる。西郷は処理的才能の巨大なものであり、その処理の原理に哲学と人格を用いた

・人は、その才質や技能というほんのわずかな突起物にひきずられて、思わぬ世間歩きをさせられてしまう

・人間の厄介なことは、人生とは本来無意味なものだということを、うすうす気づいていることである。古来、気づいてきて、今も気づいている

・自分というのは経験によって出来るだけで、人間という生物としては、自己も他者もない

・人間は、それぞれの条件のもとで快適に生きたいということが基底になっている。仕事、学問、お役目は、その基底の上に乗っかっているもので、基底ではない

・つまるところ百の才智があっても、ただ一つの胆力がなければ、智謀も才気もしょせんは猿芝居になるにすぎない

・何者かに害を与える勇気のない者に、善事ができるはずがない

・時勢は利によって動くもの。議論によっては動かぬ

・よき大将は価値のよき判断者。将士の働きを計量し、どれほどの恩賞に値するものかを判断し、それを与える。名将の場合、そこに智恵と公平さが作用するから、配下の者は安心して励む。配下が将に期待するのはそれしかない

兵法の真髄はつねに精神を優位優位へととっていくところにある。言い換えれば、恐怖の量を、敵よりも少ない位置へ位置へともっていくところにある

・名将とは、人一倍、臆病でなければならない。臆病こそ敵を知る知恵の源泉というべきもので、相手の量と質、主将の性格、心理、あるいは常套戦法などについて執拗に収集する。ついで、自分の側の利点と欠点を考え抜く

・才能とは光のようなもの。ぽっと光っているのが目あきの目には見える。見えた以上、何とかしてやらなくてはという気持ちが周りに起こって、手のある者は貸し、金のある者は金を出して、その才能を世の中へ押し出していく

・思想を受容する者は、狂信しなければ、思想を受け止めることはできない

・戦場において人々が勇敢であるのは、名誉をかけているから。名誉は利で量られる。つまり、戦場における能力と功名は、その知行地の多い少ないではかられる。他人より寸土でも多ければそれだけで名誉であった。男はこの名誉のために命をすら捨てる

・物事の自然を見るこそ、将の目。時の運と理にかなうからこそ毎度の勝利を得る。過去の勝利の結果のみを思い、必ず勝つと錯覚するならば、勝つための準備、配慮に費やされた時間と心労を見ない

・思想は、人間を飼い馴らしするシステム。人間は飼い馴らさなければ猛獣であって、飼い馴らされて初めて社会を構成する人間たりうる

・武士の道徳は、煮つめてしまえば、「潔さ」というたった一つの徳目に落ち着く

・思想とは本来、人間が考え出した最大の虚構(大うそ)。松陰は虚構をつくり、その虚構を論理化し、結晶体のようにきらきら完成させ、彼自身も「虚構」のために死ぬことで、自分自身の虚構を後世に実在化させた。これほどの思想家は日本歴史の中で二人といない

・いい若い者が、母親の私物として出現するようになったのは、日本では、戦後のこと。弥生式農耕が入って以来、二千年の歴史から言えば、近々三十年に過ぎず、我々はこの異習に鈍感になっている



慧眼なる司馬史観で、人間とは何か、思想とは何か、能力とは何かが、この本であぶり出されているように思います。

イデオロギーや思想の嘘っぱちを見抜き、人間の本質を基底とする現実に目を向けるには、非常に参考になる人間読本ではないでしょうか。
[ 2010/08/27 08:37 ] 司馬遼太郎・本 | TB(0) | CM(0)