丹波篠山の学生寮歌であった、
デカンショ節の「デカンショ」というのは、「
デカルト・
カント・
ショーペンハウエル」であると、昔、親から聞いたことがあります。
デカルトとカントは難しいながらも、その書物を少し読んだことがありますが、ショーペンハウアーに関しては、全く読んだことがありませんでした。
今回、この「ショーペンハウアーの言葉」を読んで、「
ショーペンハウアーの思想が釈迦の考え方とよく似ており、東洋的であること」「論理的というより、どちらかと言えば感覚的な人」ということがわかりました。
孤独を愛し、生涯独身を通したショーペンハウアーの言葉は、現代日本人の心に突き刺すように思います。
この本の中で、共感した箇所が25ほどありました、「本の一部」ですが、紹介したいと思います。
・欲望の根底にあるのは、人間の本性からつきまとう、不足、欠乏、苦痛である。その一方で、欲しいものが得られ、欲望が減退し、欲望の対象がなくなると、虚しさと退屈さに襲われる。人の生活は振子のように、
苦痛と退屈の間を行き来する
・他人に比べて自分が幸福な状態にあることを認めることで得られる喜びは、実は積極的な
悪意の源である
・元来怠惰である人間は静止にあこがれながらも、絶えず前進しなくてはならない。
前進を強いる力が停止を許さないからだ
・世間でいわれている幸福は、これに先だって、苦しみや欠乏があり、また幸福を得た後も、後悔、苦悩、虚しさ、
飽満の感覚につきまとわれるもの
・性欲は生きんとする意志の最も完全な表現であり、その最もはっきりした形態である。このことは、そもそも個人が性欲から生まれ、性欲が人間にとって他のすべての欲望に優先していることからも明らか
・幸福な結婚など滅多にない。それは主目的が現在の当事者ではなく、将来の世代にあるというのが、そもそも
結婚の本質だからである
・動物に同情することは、その人の性格の良さと完全に一致している。
動物に残忍な人はけっして良い人ではない
・大がかりな事物に取り組む学問は、なかなか最終目標に達することができないが、芸術はいたる所で目標に達している。なぜなら芸術は特定の対象を世界の奔流から取り出し、この個物だけを単独に分離して取り組むから。芸術は個物によって表現される
・凡人の知性が個々の人に奉仕する責任があるのに反し、
天才の知性は人類全体へ奉仕する責任がある。凡人は三分の二が意志、三分の一が知性から成るのに対し、天才は三分の二が知性、三分の一が意志から成る
・人間嫌いと
孤独を愛することは、互いに交換できる概念である
・
朗らかさだけがほんものの貨幣。他のものはすべて手形。なぜなら、朗らかさだけが現時点ですぐにも人を幸福にさせるから
・最大の愚挙は肉欲の充足や一時的な快楽、金儲け、昇進、勉学、名声のために、おのれの
健康を犠牲にすること。健康第一、他のことはむしろないがしろにすべきである
・孤独にされると、愚者はたとえ美服をまとっていても、自分の貧しい個性の重圧から脱却できず、ただ
溜息をつくばかり。すぐれた素質をもつ者は、孤独な貧しい環境にあっても、自分の思想を生かして充実した生活をおくることができる
・人は、おのれの楽しみの源泉をおのれ自身のなかに見出すことが多ければ多いほど、それだけますます幸福になる
・
親譲りの財産は、それが高尚な種類の精神的能力を備え、
金儲けとは無縁の物事に取り組んでいる人に渡ったとき、はじめて最高の価値を持つ。この種の人々は運命に二重に恵まれることになり、おのれの素質を十分に発揮できるようになる
・生きていくために最も大切なのが健康であり、次いで、生活を支える手段、つまり安心して使える収入である。これに引きかえ、名誉、栄光、位階、名声などは、これらの
本質的財産と競争できない
・自負はおのれの内部から発し、おのれ自身を
直接評価すること。これに反し、虚栄心はおのれ自身への高い評価を外部から、つまり間接的に得ようとする努力
・名誉とは客観的には私たちの価値についての他人の意見であり、主観的には他人の意見に対する私たちの恐怖である
・後世まで轟く名声は、種子から始まってゆっくりと成長していく樫の木に似ている。一方、
はかない名声は一年間ですぐ成長する植物であり、
誤った名声にいたっては、素早く伸びて、いち早く滅び去る雑草の類である
・誰でもおのれをこえて見ることができない。すなわち人は誰しも自分自身と同じ大きさで他人を見ている。それというのも人は自分の
知性の尺度に従って他人をとらえ、理解することができるだけだからである
・大多数の人々は主観的であるため、自分自身以外のものには一切関心がない。したがって、すべてについて自分自身に
関連づけて考える。個人的に関わりがあれば、彼らの注意をひき、とらえて離さない。彼らの利益や虚栄心に反すれば、間違っていると見なされる
・自分の欠点を知るためには他人の欠点に注意して、これを心の中で批判するのが最も適切な方法である。私たちは、
自分自身を改良するためには鏡を必要とする
・社交界では地位や富が常に尊敬のまとになりうる反面、
精神的卓越さにそれを期待してはならない。最も恵まれた場合でも無視されるだけである
ショーペンハウアーは、「健康」と「少々のお金」と「知的探究時間」があれば、幸福であり、地位や名誉を煩わしいものと述べています。
「人の生活は苦痛と退屈である」「世間の煩わしさから逃れ、孤独を楽しむ」という考え方は吉田兼好の「徒然草」にも通じるような考え方です。
とにかく、この本は、将来、
静かに暮らしたいと考えている方にとっては、心の支えになるのではないでしょうか。