とは学

「・・・とは」の哲学

『ほんとはこわい「やさしさ社会」』森真一

ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書)
(2008/01)
森 真一

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社会心理学者である著者の書を紹介するのは、これで4冊目になります。特に、日本の「お客様社会」「お客様心理」の研究は、鋭く分析されており、勉強になります。

本書は、現代の日本人が考える「やさしさ」とは何かを、過去からの「やさしさ」の変遷を基にした分析は大変興味深いものです。その一部をまとめてみました。



・現代社会では、「やさしさ」や「やさしいこと」は、ほとんど無条件に「善いこと」とされている。しかし、実際に自分の生活を振り返ると、必ずしもそう言えない。やさしさ社会がもたらしている「しんどさ」や「こわさ」に改めて気づく

・現代のやさしさとは、「人を傷つけないように気を遣う態度や振る舞い」という意味になる

・「やさしいきびしさ」は、やや古いタイプのやさしさ。基本的には相手に厳しく接する。ただし、その厳しさは優しさに基づく。一方、「きびしいやさしさ」は、新しい、現代的な優しさ。それは「今傷つけないように全力を尽くす」もの

・「治療的やさしさ」は、思わず誰かを傷つけてしまったときに、言葉で癒せば、傷は治る
というもの。「予防的やさしさ」は、人を傷つけたら、一生消えないので、相手を傷つけないようにすることこそ、「やさしさ」というもの

現代のやさしさが「やさしいきびしさ→きびしいやさしさ」「治療的やさしさ→予防的やさしさ」に、変化してきており、対人関係のルールになっている

・予防的やさしさは、傷つけることを回避することがやさしさ。ということは、修復は最初から考慮に入れられていない。傷つけたら終わり、という感じ

・上から目線にムカつくのは、人間関係は対等であるべきという原則によるもの。この対等性の原則は、横の差異(ファッションや趣味)は認めても、縦の差異・上下の差異(センスの良し悪しや経済格差)は容認できない

・「一度きりの人生」とは、自分の人生の値打ちが生かされずに無駄になるのが惜しいという思想であり、自己実現を重要視する価値観

・能力「低下」をうるさく言う現代は、能力への関心が「上昇」している時代。能力への関心が上昇しているからこそ、能力の低下について大騒ぎする

・「よそよそしさ」「冷たさ」「攻撃性」は、ひどくやさしいから生まれてくる。皮肉なことに、やさしさルールがあまりにも厳しくなって、過剰に優しくしなければならないからこそ、逆にこわい現象が起きる

・うかつに触れれば、すぐ傷ついてしまう「腫れもの」「こわれもの」、あるいは「爆発物」が、現代人の自己の特徴

・今の日本人は身分差のない武士的存在。武士はちょっとした礼儀上のミスでも「無礼者!」と激しく怒り、ミスをした家臣や町人を手討ちにする。今は対等が原則だが、この対等を守らなければ、かつての武士のように怒りだす、怖い人が増えた

・日本社会には、仲間には非常に気を遣うのに、それ以外の人にはまるで無関心、という思いやりの落差がある。この「内集団」と「外集団」への思いやりの落差は拡大中

・楽しさ至上主義は、「いつでもどこでも楽しくないとだめ」という思想。この思想を信じてしまうと、自分以外のみんなは、いつも楽しいことだらけのような気がしてあせり、イライラして、怒りっぽくなってくる

・気軽さ、気楽さが、現代日本に最も欠けているところ。「対人恐怖症の武士」である現代日本人にとって、見知らぬ人に「すみません」と言うのは、プライドが許さない

・「お客様」からされた理不尽な要求を、自分が「お客様」になったとき、無関係な従業員に対してもする、お互いが首を絞め合う状況にある。お金のために首を絞め合う傾向は、能力主義、市場原理、グローバリゼーションといった過度の競争によって推進される

・悪口は「悪」だから、公然とは使えない。でも、使いたい。この葛藤の結果、悪口の使用法が屈折してしまう。その典型例がネットいじめ



社会が「やさしさ」「善意」を要求してくるのに比例して、そのツケがどこかに溜まってきます。このツケが、悪口だったり、いじめだったりします。

過度の要求をすることで、みんながギスギスするようになっているというのが著者の見解です。目くじらを立てずに、もっと気楽に、気軽に生きることでしか、現代の日本社会を平和にする手立てはないのかもしれません。


[ 2014/08/22 07:00 ] 森真一・本 | TB(0) | CM(0)

『どうしてこの国は「無言社会」となったのか』森真一

どうしてこの国は「無言社会」となったのか (vita)どうしてこの国は「無言社会」となったのか (vita)
(2012/12/25)
森 真一

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著者の本を紹介するのは、「かまわれたい人々」「お客様がやかましい」に次ぎ、3冊目です。

現代の日本人の特性が、どういう社会要因でそうなったのかを、今回も鋭い観察力で考察されています。なるほどと思える点が多々ありました。それらの一部を要約して、紹介させていただきます。



・苦情なんか言ったら相手はキレる、すまなさそうに謝るかもしれないが腹の中では怒り狂っている、恥をかかされたと思うはず、逆恨みして嫌がらせされるかもしれない。日本社会は、苦情を直接相手に、自分の声を使って伝えることをますます避けてきている

・直接顔と顔を合わせる対面関係では声を出さない日本人が、ネット上には莫大な量の言葉を書き込む。とても対照的。ネット世界は「無言社会」を象徴している

・町中にあるファストフード店でひとり食事するのは、恥ずかしくはないが、学校のような、自分のことをちょっと知っている人たちがいる場所では、ひとり食事しているところを見られるとつらい。現代の恥意識の根底には、ひとりでいることへの葛藤心理が潜む

・「はっきり言わないとわからないのはバカ」という前提は、「はっきり言わなくてもわかってもらえる」という甘えの上に成り立っている

・日本社会では「一度で通じるのが当たり前」と考えるのに対し、海外ではどんな国でも「通じないのが当たり前」。だから日本では、通じないとイライラして怒りが込み上げる

・見知らぬ他人を人間扱いしなかったのに、知り合いになったとたん、丁寧な態度をとる現象は、日本人が自分の生きる世界を「ウチ」と「ソト」に分けているから

・集団に属さないと生きにくい。けれど集団に属すると、個人としての主張はできない。だから、日本で暮らすには「無言」でいるのが一番ということになる

・今、こいつを叩いても、誰からも文句は出ない、と見てとると、安心して非難の声をあげる。こちらが「お客様」で、相手はこちらに歯向かえないと判断した場合も同じで、言ったもん勝ちと考えているふしがある

・「かまわれない自由」を優先する人々は、過剰にかまってくると、さっさと逃げ出す。濃い関係になりそうなものは避ける

・「秘」を共有すること、共謀に参加することが、集団に属しているという感情・感覚を生む。一体感を生む

・声をかけるときは演技でいい。むしろ、積極的に演技を心がけた方がいい。なぜなら、社会は「芝居」だから

・好かれているかどうかが気になるのは、仲間に対して不信だから。日本人は集団嫌いに加えて、人間不信にも陥っている

・日本的コミュニケーションは、はっきり表現しないで、お互いの腹を探るので、相手の真意を読みとる努力が不可欠。今や日本人も、日本的コミュニケーションは、相手が何を考えているか、わかったものではないと感じている。それが相互不信につながっている

・仲間はずれにされるのは避けたい。だから、相手を信頼しているかのように過剰に演技しなければならない。「あなたといると楽しい」というメッセージを、笑い声で、笑顔で、表明し続けなければならない。このような関係は、軽いように見えて、実は重い

・自分が「かけがえのない自分」でありたいから、社会に認められるために、社会の価値規準にどっぷり浸かる。経済力、腕力、見た目のかわいらしさなどに一喜一憂する。こうして、社会の価値の虜になったら、人生の偶発性や無意味さを意識の片隅に追いやる

・「自分のために生きる」には、自分が「何者でもない」ことを自覚し、「社会がすべて」という態度から抜け出す必要がある。その必要に、決してメディアは応えてくれない

・「自己中」は全然自分中心ではない。自意識過剰なだけで、他者の目から見た自分を想像している

・つながりや社会への同調を促すことで、甘い汁を吸ってきた人々は、自分たちの権力・権威・権限を守ろうとする。そうして人々は、嫌われて、集団から仲間はずれにされたら大変だと思って、また無言になる



私自身、若いころは饒舌なほうでしたが、それによって、しなくてもいい失敗を重ねてきたように思います。そのため、今では、「沈黙は金」と思えるようになっています。

日本社会は、無言でいるのが無難です。本書は、それを証明するかのような書です。饒舌な人にも、無口な人にも、おすすめできる書ではないでしょうか。


[ 2013/10/30 07:00 ] 森真一・本 | TB(0) | CM(0)

『「お客様」がやかましい』森真一

「お客様」がやかましい (ちくまプリマー新書)「お客様」がやかましい (ちくまプリマー新書)
(2010/02/10)
森 真一

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私は、「お客様」という言葉が嫌いで、文章を書く時は、「客」に統一しています。客と店は対等なはずです。お客様は神様ですという言葉の裏を想像すると気持ち悪くなります。

嫌な客が相手なら、売らない権利高く売る権利があるのが商売です。ところが、今の日本では、
1.小売サービス業の競争が激しくなった
2.個人商店が減り、販売員のパート化とマニュアル化が進んだ
3.デフレが長期化し、売上が減った

これらの要因で、客を「お客様」と持ち上げざるを得ず、その「お客様」がますます高慢になっています。今は「お客様天国」の時代です。

この本は、まさに、この現象に切り込んだ1冊です。鋭い観察力で、「お客様」をえぐり出す書です。

著者の本は、「かまわれたい人々」に次ぎ2冊目です。この本も、面白く読めました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・生徒もお客様扱い。学生をお客様、授業を商品と呼ぶ大学もある。このように、お客様化が広がり、とうとう医療も「患者様」と呼ぶようになってきた

・近所でも会社でも、私を認めてくれない。「お客様」になると、努力しなくても「私を認めてくれる関係」が手に入る。日本で「お客様化」が浸透していった時期と、会社で「ギスギスした職場」が広がり始めた時期は重なる

・グレードの高いホテルの戦略は「重要だと思われたい」「重要人物のように扱われたい」という客の気持ちに照準をあわせる。その戦略に、客は騙されているわけではない。むしろ、客もその戦略を意識した上で、そのサービスを買いに行く

・「お客様」は、「常連と認められたい」「貴重な苦情を言ってやっている」という意識で、暴力的になる

・「お客様社会」では、客の欲望は神聖化される。欲望を満たすことは「よいこと」であり、「正しい」こととみなされる。他方、不満を感じさせることは「悪いこと」であり、「不正なこと」とみなされる

・かつてのスーパーは職人主導。それがチェーン展開や効率化により、「お客様」中心のサービスを実施することで、スーパーから職人は追放される。代わって、マニュアル主導になった

・分業を嫌い、「芸術品」にこだわる職人が業務の主導権を握ると、大量の客を効率的にさばけなくなり、業務が流れ作業とならず、非効率になる

・企業にとって理想的な従業員はロボット。ロボットなら、最初にインプットしたプログラムどおりに働いてくれる

・店員は、マニュアルにがんじがらめにされている。「お客様」は店員の人格を否定し、傷つけるようなことを平気で言う。「ありがとう」の一言もない。そういう相手に、笑顔をふりまき、頭を下げることは屈辱

・職人の作品の真価を理解できるのは、同じ職人仲間や弟子、目や舌の肥えた一部の客だけ。少しでも新しい点や違いを出す努力に精力を傾け、客はその点を評価し、味わう。その価値がわかる人だけを相手にしたいというのが職人の願望

貧乏でもいいから、違いのわかる客だけに来てほしいと考えている職人は、プライド問題は起こらない。少しでも収入を増やしたいと考える職人の場合、客を選ぶことができないので、プライド問題が起きる

・お客様社会は、「しろうと優位」「アマチュア中心」の社会。この社会で生きていく以上、職人は、「儲けず、認められず」という方針でも立てない限り、イライラする毎日を過ごすことになる

・人様にマニュアルを与えられることをひたすら待っている人に共通する行動原理は、「自由にしたい」ではなくて、「何もしなくても、まあ何とかしてもらえる」である

不満を排除すればするほど、かえって不満を持ちやすくなるのが人間。それなのに、不満が出れば、「またその不満を排除すればいい」「努力が足りない」と言われる

・みんなで首を絞めあい、能力を絞り出しあっているのに、結果として、働く人の生活ではなく、一部の企業トップや株主、官僚の利益と生活を守ることにつながっている。努力の程度を緩めてもいい

拝金主義者にとって、お金は絶対的価値。彼らにとって、同一金額は同一価値。だから、同じ料金をとる以上、客によってサービスの質と量に差がつくのは許せない。そこで、店は、メニュー化、システム化せざるを得ない



このままの社会情勢が続くと、さらに、「お客様」がどの分野にもはびこるようになり、芸術家、宗教家、学者までもが、「お客様」に頭を下げないといけなくなるかもしれません。

権力を持った「お客様」に、どう付き合い、どう対処すべきか、これからの大きな問題です。この本を読んで、これからの「お客様」を理解して、対処の方法を考えておくべきかもしれません。
[ 2010/10/11 08:04 ] 森真一・本 | TB(0) | CM(0)

『かまわれたい人々』森真一

かまわれたい人々かまわれたい人々
(2009/06/17)
森 真一

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この本の題名は「かまわれたい」となっていますが、本当のテーマは「自由と孤独」です。著者は社会学の教授です。

自由をとると孤独になる。干渉されると孤独にはならない。「自由」を選ぶか「つながり」を選ぶか。両方とも手に入れるのは難しい。そのバランスで人間は生きていかないと仕方がない。

つまり、「自由のある人生」を選ぶか「孤独にならない人生(つながりのある人生)」を選ぶか。言い換えれば、「都会的」か「田舎的」か。「おひとりさま」か「大家族」か。これは、究極のテーマのように感じます。

この究極のテーマを、今の日本人は、どちらに傾いているのか、どちらを選択しようとしているのか。マスコミなどの偏向報道ではなく、現実に日本人がとっている行動が、この本には記されています。

今回、興味深かった箇所が25ほどありました。「本の一部」ですが、紹介したいと思います。



・自由であるということは、「個人として行動可能である」(プライバシーが尊重される。自分で考え、自分の意見を持つことが許される。他者からの干渉を排除できる)ことと「選択肢の中から選べる状態にある」ことである

・ショッピングセンター勝利とシャッター商店街敗北の大きな要因は「価格の差」だが、もう一つの勝利の要因は、店員にかまわれず、「自由」に買い物したいという客の欲求。店員にじゃまされず、ほうっておいてくれる気楽さ

・カーナビやケータイナビを使えば、知らない場所へ行くときも、人に道を聞く必要がない。自分の好きな場所に自分ひとりの力で着ける。情報を持つことによって、人は他者への依存度を減らし、より「自由」になれる

・誰でも不慣れな場所に行くには勇気がいる。失敗して笑われ恥をかいたり、だまされたりなど不安のタネはいくつもある。その分「不自由」。誰かが一緒にいてくれたら不安を感じずにすむ

・見つめられ、かまわれることで人生がスタートしているため、一生見つめられ、かまわれることを求める。「かまわれない自由」が大切でも「かまわれたい欲望」はついてまわる。現代人は「かまわれたくない」と「かまわれたい」の間で葛藤するようになった

・「かまわれない自由」を最大限に楽しもうとする「おひとりさま」の場合、「孤独」になってしまうリスクもとりわけ大きい。ハイリターン、ハイリスクである

・「男性おひとりさま」は「かまわれない自由」は愛するが、「かまわれない孤独」は愛せない。男性は「かまわれない自由」の「いいとこ取り」しようとする

・経営者は孤独。自分がする意思決定の影響は社員全員に及ぶ。その決定を行う義務と責任に押しつぶされそうになる。誰かにかまってほしいと弱気な自分が顔をのぞかせるのはそういう決断のとき。占い師に頼るのも不思議ではない

・新入社員は先輩に「かまわれない」。新人は何をすればいいのか途方にくれる。そこで、新人は逆に先輩を「かまう」。先輩がうるさがっても「かまう」のをやめない。そうすることで新人はやる気を周囲に知らしめ、先輩社員に受け入れられていく

・1975年から90年の間に、週60時間以上働く超長時間労働者は380万人から753万人に増えた。同時に週35時間未満の短時間労働者も353万人から722万人に増えた。つまり、1980年代に長時間労働者と短時間労働者の二極分化が起きた

・製品やサービスに対する顧客の要求水準が高度化し、それに対応する中で業務の専門性も深化、複雑化してくる。その結果、社員個々人のつながりも、仕事も分断されるようになった。まじめに成果を出そうとしただけなのに、ギスギスした職場になった

・適当にやることができないのが会社人間。全力でするか、全くしないか。オール・オア・ナッシング。「ウザい」と思われた会社人間は「だったらつながりなんかどうでもいい」といって、意地になってひとりでがんばろうとする

・イエのあちこちに神さまがいたら、年中行事に追われ「自由」がなくなる。神さまをかまってあげないといけないので、神さまに拘束される。伝統的な行事も楽しくなくなる

・儀礼は社会全体の節目としての規制力を弱めていき、個々人や集団ごとに選択される行事へと変化している。この役立つ儀礼に選ばれたのがクリスマス

・「かまわれない自由」は簡単に「かまわれない孤独」へ転化する。「自由」と「孤独」はセットになっている。「自由」を楽しみたいのなら「孤独」を覚悟しなければいけない

・「かまわれない孤独」に陥りたくない。かといって「かまわれない自由」は手放したくない。この葛藤をペットが解決してくれる。人間との間では、淡いつながりしか持とうとしないタイプは、ペットとは濃密な生活をする

・ペットの飼い主は「○○ちゃんのおかあさん」「××ちゃんのおとうさん」と呼び合っている。飼い主同士、互いのプライバシーに触れないもの。相手の実名、仕事などは聞かない。「かまわれない自由」を尊重し合う淡い関係が、ペットを縁にできあがっている

・アイドルはペットと同じく、新たな淡い関係をつくるのに効果を発揮している。ヨン様ファンは、お互いバラバラの地域に住んでいて、自分の生活範囲に侵入してくる可能性が低いからこそ「ヨン様」を通じてプライベートな話ができる

・キャラでつながろうとする人は、周囲の人への不信感や自分を守る意識の強い人。距離をつくるために、キャラでつながろうとする。キャラ的関係は、濃密なようで、実は淡いつながり

・ひとりの人に高い期待を集中させると、関係の破綻や「かまわれない孤独」へといたるリスクがある。そのリスクを分散させるために、期待分散させておく。金融商品を買うときと同じ

・「自由」が道徳になると、暴力につながりやすくなる。道徳だから、みんなにこの道徳を広めようとする人が現れる。「自由」を道徳とみなす人は、人々におせっかいを焼く

・野垂れ死にはいや。親しい人に囲まれて死にたい。周囲の人にほめられたい。嫌われたくない。友達をたくさんつくりたい。友達と仲良くやっていきたい。こういう人たちは、自由に生きるのに向いていない。「かまわれない自由」を求めないほうがいい

孤独死を覚悟してまで「かまわれない自由」を守ろうとする人が多数いる。迷惑をかけずに、いかに孤独死するかが、「かまわれない自由」を守りたい人の課題



仲間意識やつながりを重視する人、つまり「かまわれたい人々」。干渉されずに自由に生きたい人、つまり「かまわれたくない人々」。その両方とも増えているように思います。

おせっかいな人が増えると、おせっかいされたくない人も増える。この両者だけが際立ち、そのどちらとも言えない人が踏み絵を迫られている社会なのかもしれません。

商売の視点で見ると、「かまわれたい人」を想定して、マーケティングを行っている場合が多いように思います。でも、実は「かまわれたくない人」こそ、巨大なマーケットを形成しているのではないでしょうか。

この本は、世間、マスコミ、識者の良識に惑わされずに、真の現代人の姿を知る上で、非常に役立ちます。筆者の良識に感謝したいと思います。
[ 2010/07/05 08:53 ] 森真一・本 | TB(0) | CM(0)